言の葉周遊(あきおの読書日記)

読んだ本、気になる言葉、詩を書いていきます

私的詩読 鮎川信夫詩集

現代詩文庫「鮎川信夫詩集」を読んだ。多くの評論家や学者の方が、鮎川信夫について書かれている。この文は私の忘備録のようなものであることを、お断りしておきます。

 

 おれたちの夜明けには
 疾走する鋼鉄の船が
 青い海の中に二人の運命をうかべているはずであった
 ところがおれたちは
 どこへも行きはしなかった
      略
 おれとお前のはかない希望と夢を
 ガラスの花瓶に閉じ込めてしまったのだ
 折れた埠頭のさきは
 花瓶の腐った水の中で溶けている
 なんだか眠りたりないものが
 厭な匂いの薬のように澱んでいるばかりであった
 (「繋船ホテルの朝の歌」)

 

 戦後、鮎川の精神世界を象徴しているような詩句だ。鮎川は20歳前半で船に乗り戦地へ向かう。そして1943年傷病兵として病院船に乗せられ帰国する。同時代の多くの若者たちが死んだ。戦争にどのような気持で向かっていたのか。

 獲りいれがすむと
 世界はなんと曠野に似てくることか
 あちらから昇り むこうに沈む
 無力な太陽のことばで ぼくにはわかるのだ
 こんなふうにおわるのはなにも世界だけではない
    略
 勝利を信じないぼくは…
 ながいあいだこの曠野を夢みてきた それは
 絶望も希望も住む場所をもたぬところ
      
「獲りいれ」は兵士として動員されることとイメージが重なる。「兵士のうた」に描かれる当時の青年の心情は、狂信的な軍国主義者のアジテーションとは遠いところにあった。兵士たちは約束された死に向かって歩いている。そして、勝利を信じることなく、絶望的に戦う。そして、鮎川は敗戦後、詩の中でこのように語る。

 

 死の獲りいれがおわり きみたちの任務はおわったから
 きみたちは きみたちの大いなる真昼をかきけせ!
 白くさらした骨をふきよせる夕べに
 死霊となってさまよう兵士たちよ

 なぜ死ななければいけなかったのか。鮎川は死者の心を引き受けるかのように、「遺言執行人」として生きることを決める。
戦争は鮎川に深い影を落とした。孤高のひとのように歩む。男と女の関係においても、一筋縄ではいかない。

 わけもなく涙をながす男の
 荒涼とした心に、蒼ざめた花嫁をあたえ
 時は移った。沈黙の
 燃える屋根の下に、愛は
 その秘密を夜のなかに隠していた。
(「夜と沈黙について」)

誰も心の中に入ることを許さない孤高だ。しかし、町は忘却を促すかのように復興する。多くの死者を生み出したことさえ忘れてしまったかのようだ。

 

   どの窓にも 町と同じ大きさの
 沈黙があった。
(「夜と沈黙について」)
 

 鮎川は男と女の関係においても、そして、その他の詩句においても、遺言執行人として深い陰りと意志が、書けば書くほど浮かび上がってくるのだろう。 鮎川が戦前から戦後にかけて、何度も書き直したという作品に「橋上の人」がある。この橋の上に佇む人は誰なのか、鮎川本人のように読める。しかし、橋上の人に「あなた」と呼びかけることによって、鮎川を含めた戦争帰還者=「鮎川のような人」にも読めるのだ。私は、鮎川の父のようにファシズムの旗を振った人のようにも読めた。「1940年の秋から1950年の秋まで あなたの足音と あなたの足跡は いたるところに行きつき、いたるところを過ぎていった」と書かれている。これは誰だろう。もしかして天皇のことか、とさえ思うのだ。
 鮎川の詩の中には「神」がたびたび出てくる。この神の存在も不思議だ。

 戦争を呪いながら
 かれは死んでいった
 東支那海の夜を走る病院船の一室で
 あらゆる神の報酬を拒み
 かれは永遠に死んでいった
(「兵士のうた」)
 

 このあらゆる神の報酬、とはどういうことなのだろう。この詩の中では、どこか遠い国のこととして、聖書をイメージしたシーンがある。その詩句に挟まれるように、病院船の一室が描かれる。これを読んで、日本の兵士にとって「神」あるいは「死」とは何だったのか。と考えてしまう。天皇を神の末裔と奉りながら、神の救いのない兵士たち、これが日本兵だったのではないだろうか。私は鮎川が天皇に対してどのような詩句、文言を残したか承知していないが、どこかで思想的に対置したに違いない、と思うのだが読み取れなかった。
 この世代は戦争経験で全く違うことを表現する。三木卓は少年時代に敗戦を経験している。その後、死んでいく子供たちの目線で、世界を展開していった。鮎川は同時代の青年の「遺言執行人」にならざるを得なかった。
 鮎川の書く詩句はドキッとするようなフレーズがちりばめられている。

 生命は歩む影
 崩れゆく砂の足跡
 岸波につかまって死んだ魚の
 白い骨
        (「夏過ぎて」)
 
 町はだんだん小さくなってゆく
 なにもかも光と影のたわむれにすぎない
   (「夕陽」)
などなど、抜き書きすればきりがない。ことばは魅力的だ。

最後に私は次のように書く鮎川に違和感を覚えた。「兵士のうた」にある一節だが、

 きみたちは もう頑強な村を焼きはらったり
 奥地や海岸で 抵抗する住民をうちころす必要はない

ここには、うち殺された住民への思いはない。読んだ限りでは、略奪された側に思いを寄せるような言葉は出てこない。これは仕方がないことなのか。

驚くような詩句を作り出していった鮎川だけに残念な思いがするのだ。