言の葉周遊(あきおの読書日記)

読んだ本、気になる言葉、詩を書いていきます

詩のいろり  「髙良留美子詩集」を読んで 


   │風景を踏み破る詩想│
      高良留美子さんを読む
畑 章夫


 硬質な詩の中に女性を謳う。そして、社会にしっかり踏み込んだ詩を書いていく。そのスタイルに共感をもちながら読んだ。そして、詩論を読んで納得した。

「物を、物自身をして語らしめる」ということは、いまもわたしの詩の方法であり、思想であり、目的でありつづけている。  『わが詩的自叙伝』

 「木」という作品では、ものやこと、風景のなかに、次にうつるものが内包されていることを示唆する。

 木

一本の木のなかに
まだない一本の木があって
その梢がいま
風にふるえている。

一枚の青空のなかに
まだない一枚の青空があって
その地平をいま
一羽の鳥が突っ切っていく。

一つの肉体のなかに
まだない一つの肉体があって
その宮がいま
新しい血を溜めている。

一つの街のなかに
まだない一つの街があって
その広場がいま
わたしの行く手で揺れている。
   (詩集『見えない地面の上で』)
詩論ではこのようにも書かれている。

物のなかに閉じこめられた過去の労働(人間が物に投げかける幻想もふくめて)を解放する」というマルクスの思想とも響きあっている。物を内側から解放する、といってもいい。物はかならず歴史との接点をもっている。

 歴史との接点という言葉は高良作品のひとつのキーワードだと思われる。女と男の関係も歴史的グローバルな視点で描く「産む」という作品。「産」という漢字から想起し「原子力発電所が建った村に わずかに残された産小屋」と風景を設定しながら、女の歴史を現代までを射程に入れて作品化する。

 海からだけ光のはいる産小屋で
 四人の子を産んできた女は語る
 小屋の前には細い川が流れていて
 女はそこで米をとぎ ご飯を炊く
 かつては産小屋を出る日
 日本海の夜明けのなぎさで
 波をかぶり 波をくぐった
 死の世界から 甦るために
 女はそうやって産み
 産みつづけてきたのに その産道は
 ついに原子力発電所までつづいていたのか
 道の行方を見きわめてこなかったために
 道は産む者と産まれる者を分かち
 人は日暮れた道を一人だどらねばならない
 女の産む姿を 
     「産む」から
              (詩集『風の夜』)   
 漢字からヒントをえた作品はほかにもある。それだけ漢字には、内包している歴史があるということなのかもしれない。「芽」という作品では草かんむりの下にある「牙」という言葉に注目する。そして狩猟時代から農耕の時代に、文字を持つ者=権力者が現われる時代までを射程に入れて描く。ほかに権力の「権」の歴史をふりかえる作品もある。
 このように知的な詩を書く高良さんは、子供にも深い愛情を注ぐ。それは自身の戦争体験が深く影響しているように思う。高良さんは1932年生まれで、1945年の戦争の敗北まで、子供たちは大人たちの仕掛けた戦争によって、虐げられた少女時代を過ごした。子どもたちの死とたくさん出会っただろう。その高良さんは1970年代に現象した「コインロッカーの闇」にも向き合う。

コインロッカーに閉じこめられ
捨てられた赤んぼうよ
きみの産衣
はじめてのきみの 鉄の産衣は
柔らかすぎるきみの肌に
冷たかったか 暖かかったか
制服を着た男たちが
きみを外に連れ出したとき
青空の瞳は
きみにやさしかったか
コインロッカーのなかで

この作品でコインロッカーに入れた人を責めることはない。現象を「わたしたちの荒廃」と書く。そして、この後に次のように続ける。

わたしたちの荒廃が底をつくまで
きみはそこにうずくまりつづけよ
その暗い鉄の産衣のなか
その冷たいきみの墓穴のなかで
闇を呼び集める闇となり
見えない核となって
わたしたちの文明が破滅するまで
「コインロッカーの闇」から
      (詩集『風の夜』)

 コインロッカーベイビーという言葉がうまれ、同名の本も出版されたのは1970年代初頭。今の私たちの荒廃はこの時以上に深まってはいないか。私にはもっと深く、広く、しかし、見えにくくなっているように思える。
 高良さんは「歴史的抒情」という言葉を発見する。

歴史的現実を生きる人間の抒情”というほどの意味なのだが、その考え方の根もとには、戦前の詩人たちが歴史的現実をまともに生きていなかったのではないか、そこから逃げていたのではないかという疑問が横だわっていた。
小野十三郎の「風景の思想」を読みなおす』
 
 この言葉を「今」に当てはめてみればどうだろう。ここ半世紀だけでも、私たちが得たもの、そして、喪失したものはないのか。私たちはどこから来て、どこへ行くのか。高良さんの言葉は、風景に仮託して抒情に流されている間に、時代は「崖下に行ってしまうかもしれない」と言っているような気がしてくるのだ。

小野十三郎の「風景の思想」を読みなおす』には次のような一文で締められる。

戦争という現実と対峙したとき、小野は非情な物質の「風景」を発見し、そこに自分白身の存在を(感情もふくめて)こめることができた。しかし戦後になって、新しい抒情を求めたとき、もはや新しい「風景」の発見によってこの要請に応えることはできないように思われた。 わたし自身、さまざまな試みを通してわかってきたことだが、「風景」と歴史的抒情とは相容れないものがあり、歴史的抒情を生きるためには、「風景」を踏み破り、そのなかを生き、その向こう側に出なければならないのだ。

「風景」を踏み破る。そのなかを生きる。その向こう側に出る。という高良さんの宣言。そのためには、様々な力が必要だろう。思想の幅も必要だろう。でも、説明しては詩ではなくなる。実感を引き寄せ、言葉をたぐり寄せる力、とでも言ったらいいのだろうか。大きなヒントをいただいたような気がした。

 

※2020年9月25日に開催された 読書会「詩のいろり」での討論をうけて書いた一文です。