言の葉周遊(あきおの読書日記)

読んだ本、気になる言葉、詩を書いていきます

私の詩読 続 佐々木幹郎詩集を読む

 

 

続 佐々木幹郎詩集を読む

「音みな光り 豊多摩刑務所1983」にひかれた。
東京にあった豊多摩刑務所。佐々木はその解体現場に立ち会う。昼に解体の音を聞く。そして夜に解体現場に立つ。そして、そこから立ち上がってくるものに耳をすます。

「壊れた便器/どの部屋の前でも/かつての主人が尻を冷やした湾曲のままに/転がされ/垂直に立ち/排水管は/ちぎれて折り重なって人体の形に光り/廊下の片隅に積み上げられている/吐息 ひと粒 ふた粒/無数の
排く息 吸う息がきこえてくる」

ここには多くの思想犯が収容されていた。中野重治小林多喜二河上肇埴谷雄高大杉栄……

「十字形プランの舎房「特別監」/思想犯専用/その中心部で三六〇度回転する/鉄網のきしむ音がする/音が
耳殻で破裂したままもぐりこみ/身体の内部で反響する」

このような重い表現のあいだに収容されていた「思想犯」の手記が引用される。

「こつ、こつ……。それは、壁の向こうで隣室の住者がしのびやかに送っている最初のあいさつなのであった。さらに耳を澄ましてみると、多くの独房が連なりならんでいるこの大きな建物のどの部屋からともなく、こつ、こつと壁をたたきつづける音が重なりあい、一種のどよめきとなってきこえてくる……」

これは埴谷雄高の手記。
この詩はこのような手記の引用と、佐々木の行分けされた詩行で作られている.。手記によってここに収容されていた多くの人々のつぶやきや息づかいが聞こえてくる。それは時間の経過とともに消えてしまう死者たちを今に蘇らせる営為なのだ。
 小林多喜二の死を知らせようとする女の声が聞こえてくる次のような一節。

 そんなもの音だけが「何かしら今だに印象に残ってい
 る」と記した部屋の主人は/そののち拷問を受けて死んだが/その時の悲鳴と足をひきずる音だけは/どこにも響かず密閉されたままだった/ただこの「特別監」の別の主人を/面会室まで尋ねてきた一人の女は/大声でその死を全員に知らせようとして/その□をふさがれ/正体不明のわめき声だけが舎房の内部にまで聞こえてき
たのだという

このように佐々木は豊多摩刑務所が解体される音を聞きながら、聞こえてくる者に耳をすます。都市の通例として建物の解体のあとには必ずと言っていいほど新しい建物が建ち上がる。その新しい風景になれると、もう何があったのかさえ忘れられてしまう。そこに住み、死んだ人達のことも。佐々木は抗うように、そして日常のベールを剥ぎ取るように作品化していく。

死者へのこだわりは、佐々木の第一詩集が「死者の鞭」と題したことでも感じられる。
 1968年10月8日、羽田へ向かう橋の上で、一人の学生、山崎博昭さんが首相訪米阻止闘争の渦中に死亡した。60年代後半の学生運動の結節点となった第一次羽田闘争だ。佐々木はこのとき別件で逮捕され拘留されていた。この山崎さんの死が佐々木に詩を書き続けさせたのかもしれない。佐々木のこのころの詩は入りにくい。詩作品の持つ雰囲気はわかるのだが、言葉が観念のなかで回転し、次々と出される言葉についていけなくなる感じだ。それは1984年に出された詩集「音みな光り」にも引き継がれているが、この詩集では、具体的な証言を出すことで成功している。
この詩集では「舌を打ち鳴らすための五つの音楽」のように、「舌」にこだわり書いた詩も面白い。また「柿へのエレジー」では柿と物書きを結んで詩を展開して遊ぶ。佐々木はチベット行き、気づいた体験を元に作品を作っていく。
「蝉が鳴いているほかに/なんにもない!/その通り
ほかに何がある?/この世には/闇は煮える/蝉の脱け殼の形で/地球も」とか「生きものの光りは/ここで生まれ/ここで死に絶える」
このような気づき、発見を言葉にしていく。
「オームーマーニー・ぺー・メー・ブーム」という呪文のような言葉を佐々木はこう翻訳する。「蓮の花の中で
入口を閉じよ/神々に生まれ変わる/入口を閉じよ/阿修羅への/人間への/獣への/幽霊への/地獄への/入口を閉じよ/蓮の花の中で」
これは詩集「蜂蜜採り」のあとがきに書かれた言葉だが、筆者の思いと到達した地平が感じられる。
 このように佐々木の詩を読んでいったが、この続佐々木幹郎詩集にはそうそうたる作家、詩人が佐々木評を書いている。谷川俊太郎鷲田清一加藤典洋たちだ。佐々木の交流の広さが感じられる。その中で谷川は佐々木の詩について、散文はわかりにくいところはひとつもないのに詩は難解だ。と書いている。現実を散文や写真で対象化するだけでは満足出来ない。それとどうにかして全身でかかわりたい、そういう欲求が彼を詩に向かわせるのではないか。とも書いている。
また富岡多恵子は「断詩のすすめ」というエッセイを佐々木に向かって書いている。詩をやめて散文を書け、と言っているのだ。
 佐々木の散文は面白い。そして行動的だ。イラク戦争アラビア湾が汚染された。それをひしゃくで掬いに行くプロジェクトにも参加していく。
 そして阪神淡路大震災のあとには「都市は優しく滅びよ」と書く。いずれにしても行動的な、そして発言をし続けていく作家であることには間違いない。