言の葉周遊(あきおの読書日記)

読んだ本、気になる言葉、詩を書いていきます

第48回 詩のいろり へのお誘い永瀬 清子さんを読みます 

第48回 詩のいろり へのお誘い

- 詩を読む 詩を楽しむ -

詩をいろりにくべるように、語り合う時間です。

日 時:4月10日(日)午後2時~5時

場 所:スペースふうら

大阪市東成区深江北3-4-11 バーンユースック 1F

℡ 090-1223-7120

 

 

第一部 午後2時00分~4時00分

永瀬(ながせ) 清子(きよこ) 氏の詩を取りあげて、読み、語り合います。

1906‐95年(明治39‐平成7)。岡山県赤磐郡豊田村熊山(現赤磐市)出身。幼年期を石川県金沢市で過ごし、愛知県立第一高等女学校(現愛知県立明和高等学校)卒業。本名は永瀬清。

高等女学校在学中から佐藤惣之助に師事し『詩之家』同人となる。1930年、詩集『グレンデルの母親』を発表。1940年、その名声を得た詩集『諸国の天女』の序文は高村光太郎によるもので、生涯敬慕した宮沢賢治の追悼会での出会いが縁だった。またこの詩集によって、山内義雄宮本百合子らに認められ、随一の女性文学者たちの仲間入りを果たした。1945年岡山県に帰り、農業に従事しながら詩作を行う。1949年第一回岡山県文化賞を受賞。1952年、詩誌『黄薔薇』を創刊。1955年ニューデリーで開かれたアジア諸国民会議に出席、帰途中華人民共和国を視察した。1987年『あけがたにくる人よ』で地球賞、現代詩女流賞を受賞。1995年2月17日、脳梗塞のため岡山済生会総合病院で死去、「紅梅忌」と呼ばれるようになった。

岡山家庭裁判所調停委員、「平和憲法を守る会」岡山代表委員、世界連邦都市岡山県協議会事務局長代理など社会活動も行った。

 

取り扱う本

『あけがたにくる人よ (思潮ライブラリー 名著名詩選)』(思潮社、2008/5)

※ 永瀬清子の詩集や文集はほとんど絶版となっており、Amazonなどでは購入金額が高いので、図書館等でのコピーを推奨します。

※ 永瀬清子の詩で、気になる作品がありましたら、aki-pwind@cpost.plala.or.jp の畑のメールアドレスまで推薦としてお送りください。ご協力、どうかよろしくお願いします。(締め切りは4月3日まで)

 

第二部 午後4時00分~5時頃 (最近出会った詩・詩人たち

最近出会った詩や詩人について、みんなでお茶しつつ語り合います。

詩や詩人について、配りたい資料がありましたら、15部ほど事前に刷り増ししてお持ちいただき、開始前に畑にお渡し下さい。

 

いろり参加費:500円

 

主催・連絡先:大阪文学学校 松本クラス 畑章夫(080-9880-2939)

  • Mail akipwind@com 


詩のいろりで取り上げた詩人

 

2013年 小野十三郎 茨木のり子 金子光晴 青木はるみ 長谷川龍生

2014年 吉野弘 井坂洋子 大岡信 木坂涼 辻井喬

2015年 河津聖恵 高階杞一 小池昌代 貞久秀紀 

2016年 三角みづ紀 大野新 伊藤比呂美 吉岡実

2017年 蜂飼耳 石原吉郎 石垣りん 辻征夫 高橋順子  

2018年 黒田喜夫 三井葉子 金時鐘 最果タヒ 田村隆一 

2019年 平田俊子 和合亮一 吉原幸子 岩田宏 日高てる 三木卓

2020年 鮎川信夫 新井豊美 鈴木四郎康 高良留美子 山之口貘

2021年 たかとう匡子 木島始 財部鳥子 佐々木幹郎 森崎和江 四元康祐

2022年 小熊秀雄

私の詩読 続 佐々木幹郎詩集を読む

 

 

続 佐々木幹郎詩集を読む

「音みな光り 豊多摩刑務所1983」にひかれた。
東京にあった豊多摩刑務所。佐々木はその解体現場に立ち会う。昼に解体の音を聞く。そして夜に解体現場に立つ。そして、そこから立ち上がってくるものに耳をすます。

「壊れた便器/どの部屋の前でも/かつての主人が尻を冷やした湾曲のままに/転がされ/垂直に立ち/排水管は/ちぎれて折り重なって人体の形に光り/廊下の片隅に積み上げられている/吐息 ひと粒 ふた粒/無数の
排く息 吸う息がきこえてくる」

ここには多くの思想犯が収容されていた。中野重治小林多喜二河上肇埴谷雄高大杉栄……

「十字形プランの舎房「特別監」/思想犯専用/その中心部で三六〇度回転する/鉄網のきしむ音がする/音が
耳殻で破裂したままもぐりこみ/身体の内部で反響する」

このような重い表現のあいだに収容されていた「思想犯」の手記が引用される。

「こつ、こつ……。それは、壁の向こうで隣室の住者がしのびやかに送っている最初のあいさつなのであった。さらに耳を澄ましてみると、多くの独房が連なりならんでいるこの大きな建物のどの部屋からともなく、こつ、こつと壁をたたきつづける音が重なりあい、一種のどよめきとなってきこえてくる……」

これは埴谷雄高の手記。
この詩はこのような手記の引用と、佐々木の行分けされた詩行で作られている.。手記によってここに収容されていた多くの人々のつぶやきや息づかいが聞こえてくる。それは時間の経過とともに消えてしまう死者たちを今に蘇らせる営為なのだ。
 小林多喜二の死を知らせようとする女の声が聞こえてくる次のような一節。

 そんなもの音だけが「何かしら今だに印象に残ってい
 る」と記した部屋の主人は/そののち拷問を受けて死んだが/その時の悲鳴と足をひきずる音だけは/どこにも響かず密閉されたままだった/ただこの「特別監」の別の主人を/面会室まで尋ねてきた一人の女は/大声でその死を全員に知らせようとして/その□をふさがれ/正体不明のわめき声だけが舎房の内部にまで聞こえてき
たのだという

このように佐々木は豊多摩刑務所が解体される音を聞きながら、聞こえてくる者に耳をすます。都市の通例として建物の解体のあとには必ずと言っていいほど新しい建物が建ち上がる。その新しい風景になれると、もう何があったのかさえ忘れられてしまう。そこに住み、死んだ人達のことも。佐々木は抗うように、そして日常のベールを剥ぎ取るように作品化していく。

死者へのこだわりは、佐々木の第一詩集が「死者の鞭」と題したことでも感じられる。
 1968年10月8日、羽田へ向かう橋の上で、一人の学生、山崎博昭さんが首相訪米阻止闘争の渦中に死亡した。60年代後半の学生運動の結節点となった第一次羽田闘争だ。佐々木はこのとき別件で逮捕され拘留されていた。この山崎さんの死が佐々木に詩を書き続けさせたのかもしれない。佐々木のこのころの詩は入りにくい。詩作品の持つ雰囲気はわかるのだが、言葉が観念のなかで回転し、次々と出される言葉についていけなくなる感じだ。それは1984年に出された詩集「音みな光り」にも引き継がれているが、この詩集では、具体的な証言を出すことで成功している。
この詩集では「舌を打ち鳴らすための五つの音楽」のように、「舌」にこだわり書いた詩も面白い。また「柿へのエレジー」では柿と物書きを結んで詩を展開して遊ぶ。佐々木はチベット行き、気づいた体験を元に作品を作っていく。
「蝉が鳴いているほかに/なんにもない!/その通り
ほかに何がある?/この世には/闇は煮える/蝉の脱け殼の形で/地球も」とか「生きものの光りは/ここで生まれ/ここで死に絶える」
このような気づき、発見を言葉にしていく。
「オームーマーニー・ぺー・メー・ブーム」という呪文のような言葉を佐々木はこう翻訳する。「蓮の花の中で
入口を閉じよ/神々に生まれ変わる/入口を閉じよ/阿修羅への/人間への/獣への/幽霊への/地獄への/入口を閉じよ/蓮の花の中で」
これは詩集「蜂蜜採り」のあとがきに書かれた言葉だが、筆者の思いと到達した地平が感じられる。
 このように佐々木の詩を読んでいったが、この続佐々木幹郎詩集にはそうそうたる作家、詩人が佐々木評を書いている。谷川俊太郎鷲田清一加藤典洋たちだ。佐々木の交流の広さが感じられる。その中で谷川は佐々木の詩について、散文はわかりにくいところはひとつもないのに詩は難解だ。と書いている。現実を散文や写真で対象化するだけでは満足出来ない。それとどうにかして全身でかかわりたい、そういう欲求が彼を詩に向かわせるのではないか。とも書いている。
また富岡多恵子は「断詩のすすめ」というエッセイを佐々木に向かって書いている。詩をやめて散文を書け、と言っているのだ。
 佐々木の散文は面白い。そして行動的だ。イラク戦争アラビア湾が汚染された。それをひしゃくで掬いに行くプロジェクトにも参加していく。
 そして阪神淡路大震災のあとには「都市は優しく滅びよ」と書く。いずれにしても行動的な、そして発言をし続けていく作家であることには間違いない。

財部鳥子さんを読む

私的私読 私の読書ノート
  財部鳥子さんを読む
        テキスト 続財部鳥子詩集

財部鳥子さんは中国、満州で十一歳まで育った。敗戦後日本に引き揚げる途中、妹、父を失う。多くの人たちの死を見た。エッセイ『少年の日々』にはソビエト兵の暴行を避けるために、頭を丸坊主に刈られ、少年の格好をして過ごした収容所の日々のことが書かれている。
 それから二十数年をえて発表された詩「いつも見る死」には「避難民として死んだ小さい妹に」との副題が添えてある。そして、別の詩では「きみの耳なりは詩の音 死の音とよぶ/髪を刈られた極限の少女がすわりこんでいて/永遠にうごかない息をしている」(「詩の音」)
 妹、そして父の死、多くの人々の死は、いつも財部さんの心の底にあったのだろう。「深い井戸なんか覗き込むな/そこには必ず幼い妹が死んでいるのだから/夜明けにふと目をさましたりするな/銃撃の音と/キャタピラーの地鳴りの残響が聞こえるから」(「禁句」)これは六十七歳の詩集に収められた言葉だ。
 詩を読み進めていて、このように直接性のある作品は少ない。むしろ情を突き放すように書いていく。そして、「詩的」なものを拒否するように詩を書いていく。「水とモンゴル」では、「水を飲むとき海を思ったりしないです」と水を思ったりしない、という言葉を繰り返し使うことで、展開を留めようとしながら、詩の作品を作っていく。
 「烏有の人」いう詩集がある。烏有の語源をひもとくと漢の時代の詩人が作った物語から来た言葉で、「烏有の事」ということばは、小説などの虚構、こしらえ事を意味するようになった。とある。このように、財部さんは中国詩にも精通されていたようで、中国の故事、言葉なども使われる。
 「烏有の人」では父が作られていく。この詩では父の存在感と詩の後半に出てくる「湯灌」という言葉がなんとも恐ろしい。湯灌は死者を洗うときに使う言葉。財部さんは死者の存在を捜しながら、作品を仕上げて行く。「わたしには父の実像が欠けていた/ 父 それが指すところのものはツタンカーメンのように烏有/うつくしい優曇華のように烏有であるらしい/詩は存在するが/詩人は存在しないように/父を思い出そうとしてもそれは空無を探るように何もない」(「烏有の人」)
 母のことを書いた詩も印象深い。
「月は北極の海の方にいて、老いさらばえた母のクラゲ
のような腕を密かに照らしていた。/彼女は街道に廃棄されている粗大な石くれに腰かけた。」(「月光と母」)
「八十九歳の母はひるねの夢を愛している。とくに淫夢を愛しているようだ。」(みみずく「ゼン」の思い出)
 母に淫夢を見せる作品には驚く。別れや死を書くとき、悲しみの情に巻き込まれてしまうことが多い。そこを突き抜けるのが、死者を抱えてきた詩人財部さんなのだろう。彼岸、此岸という感じではない。むしろ、死者と共にあるような世界なのかもしれない。
 財部さんの詩を小池昌代さんは、次のように書いた。
「こころの虚空を大鷲が跳ぶ/哀しみを引きちぎるような力強さで/戦後70年/その長い年月を死者と共に生きた詩人は/いま、全身に銀の霜雪をかぶり/冷気漂う湖のように美しい」そして財部さんの詩の言葉を「無へ豊かに広がる言葉」とも続けた。
 「七月の空気は透明な裸/恥ずかしいから蓮池に隠れている/大きな葉のしたから蕾を高々と掲げて/みんなに見せている」(「七月」)という詩を読むと小池さんが語っていることがわかるような感じがする。この詩では蓮の花から、百歳の手のひらを配置することで、自然の時間、人間の時間、そして、しわに象徴される時間を短い詩の中で描いている。人生後半期の財部さんの詩には、このような印象深い詩が多い。
 財部さんの詩には映画のワンカットを見ているような描写力が読者を捉える。「杏の肉 」は「わたしたちは砂糖漬の杏を静かに食べた。/二人はほんとうに種子を抜いた甘いすこし乾してある杏を食べていたからね、このことばを使いたかった。/アルミの皿にいれて。」と始まる。場面は中国の遊覧船。砂糖漬の杏と私たちの唇。なんでもない描写のなかに、大陸の空気と人生の時間が流れていることを感じるから不思議だ。この作品につて、佐々木幹郎は「なんでもないことを、なんでもないように描き、それをなんでもないように作品にする。これはとても高度な技法を要求する」と書いている。
 詩と死を抱えて詩作を続けてきた財部鳥子さん。二〇一一年三月十一日を中国北京で知った。「大江のゆくえ」作品冒頭で独語のように書く。「衰耄する女詩人は原子力発電所メルトダウンしたあと涙が零れてならなかった。こんな成り行きに遭うために生きてきた無念、そして「死にたいと思ひつ春の旅鞄」などと韻を踏むしかない自分。北京着いてみれば前途の見えない排気ガスに噎せかえる。 (中略)毎朝の餐庁で大型テレビに映し出される日本の地震津波、壊れた発電所、防護服の決死の作業員たち。世界はもうここから引き返せないのだ。粥を啜りながらまたぼやいた。「諸葛菜デラシネの髪も白髪に」尾羽打ち枯らした女詩人はいずれ再び引揚者になる。」と結ぶ。
 もしかしたら、私たちは引き揚げ前夜の時代にいるのかもしれない。そのようなことを感じながら、財部鳥子さんの詩集を読んだ。

木島始ノート

読書ノート 木島始を読む

 復刻版木島始詩集を手に取った。1953年に発行されたこの詩集は、木島の原点を表す詩集となっている。1928年生まれの木島にとって、思春期、青年期は戦争への国家総動員体制から敗戦、戦後の混乱と社会運動に翻弄された時代だった。
 わが年代記と題された章では冒頭に「起点1945年」が置かれる。この詩では空襲による恐怖、緊張が描かれる。この緊張感は行間に満ちている。そして最後の部分で「そして あの日 突如として   歴史の姿は あかるみにでた」と書かれる。次に続くのが「戦後 1946年」「ぼくは飢える ぼくは買い出しする ぼくは・・・ 」 と最後まで ぼくは ぼくは と続く36行の詩は、戦後の混乱と生きる姿を見事に映し出している。
 わが年代記と書かれたこの章には1952年に5月に発生した血のメーデー事件のことも詩の題材になっている。「きみも見たろう てのひらに感じたろう かれらは射つ 同志はたおれる 砂埃はまいあがる」「傷ついたひとは 引きずりまわされ 指先はちぎれ 女の髪はずたずたになる その白いふくらはぎは たちまち靴の鋲のふんずける真黒の内出血だ」このような描写が続く。ここでの描写は、いまミャンマーでおこなわれている民衆の虐殺を想起させる。同じ地球上で起こっていることに、どうとらえればいいのか。整理が着かないままでいる。
 「動物 鉱物 植物」の章では観察者としての木島の眼がある。牛が屠場へ送りこまれる描写や通勤する人々描かれる。この観察にも木島の思想が伺われる。描写には迫力があるし、ひかれる。そして主婦を描いた詩には、木島の優しさ人間性が感じられてほっとする。このころに恋をするのだろう。ここで書かれる愛の詩は少し甘い。1970年以降に書かれた愛の詩のほうがずっと練れている感じがした。
 この詩集で圧巻なのは「星恾よ 輝け」 「蚤の跳梁」だ。どちらも長詩。前者は放送のために と副題がふってある。学童疎開の少年少女を描いた長詩。1952年作となっているから敗戦から7年。学童疎開、空襲による死、こういう離別は多くの人が生々しく記憶に残っている時代。放送されたとしたら強い共感を生んだだろう。後者の「蚤の跳梁」は戦前、戦中、戦後を生き抜いた知識人「かれ」が主人公になる。「かれ」は軍隊のそれぞれの派閥からも重宝される将校になる。そして海外へも視察に行く。ヨーロッパにおけるアジア人、アジアの中で優越的地位を保とうとする日本人、その「かれ」は中国戦線で細菌兵器作る731部隊に所属する。極東裁判に目を配りながら、戦後もGHQに取り入り生き残っていく。731部隊のことをこのように詩にしていたことに驚いた。
 続いて1975年以降の木島の詩を読んだ。年齢でいえば50歳を超え、詩人、作家、翻訳家、英米文学者として活躍していた。このころの詩にも社会批評精神は旺盛だ。日本が共和国になった想定で書かれた「日本共和国初代大統領への手紙」も面白い。天皇陵と指定されているものを考古学せよ、という手紙だが。かつて神格化されて、国民を苦しめた元凶に迫っている。「キド」という作品には金大中金芝河も登場させる。アジアへの思いを描いた作品。侵略をなかったことのことのようにする風潮に「キド」韓国語の「祈り」という言葉を立たせる。
 社会批評をぶつける詩も演説になっていない。これが、木島始という人の魅力なんだろう。ユーモアがある。「女のかがやき」には竹を見ると思ううた、と副題が書かれている。
竹取物語からヒントをえて詩にした作品。天子様からのプロポーズを断るかぐや姫。「こんなおおっぴらな いやだ たいしたことないや の科白// それから千年ものあいだに/すこしも聞かれなかったな//天子さま はねのける光もつ/そのちっちゃな女からいがい」
恋の歌、愛の歌も素敵だ。愛を感じさせるから社会批評も生きる。木島は歌の詩もたくさん作った。韻、リズムも意識して詩を完成させていく。「あいまいでない愛のうた」の冒頭「続く声しだい 相手しだいで めまぐるしい/あは 暗々に 心ひろげる 始まりの字だ/ああ に逢わなければ 愛はない/あかくならないでは 愛ではない/あさましくなるようでは 愛ではない/あたらしさを感じさせないようでは 愛ではない/あなに入りこみたくならないようでは 愛ではない/あっはっはっはっと笑いあえないでは 愛ではない/」「くちずけ」という詩もなまめかしい。「いまを喜ぶからには/もう死んでもいい喜びをと/体の奥から瞳が緊急信号を明滅させるものだから/ただちに あらゆる信号無視の誘惑へと/おたがいの唇がくすぐったそうに砥めだして」と書く。「天空つづれ織り」は熟年の愛を描いた作品。
 翻訳家、絵本作家であった木島始。木島のまとまった詩集は手に入りにくい。もっと読まれてもいいのにと思う。 

詩のいろり2021年4月

第42回 詩のいろり へのお誘い

- 詩を読む 詩を楽しむ -

詩をいろりにくべるように、語り合う時間です。

日 時:4月11日(日)午後2時~5時

場 所:スペースふうら

大阪市東成区深江北3-4-11 バーンユースック 1F

℡ 090-1223-7120

 

 

第一部 午後2時00分~4時00分

木島(きじま)始(はじめ)氏の詩を取りあげて、読み、語り合います。

1928年2月4日 - 2004年8月14日。詩人、小説家、アメリカ文学者。京都生まれ。本名小島昭三(しょうぞう)。1951年、東京大学英文科卒業。東京都立大学附属高校教諭を経て、法政大学教授(1991年退職)。詩誌『列島』に拠った若い世代の同人。長谷川龍生らと『現代詩』にも加わり、第二次世界大戦後の現実社会を凝視し、方法意識は鋭く、反権力の立場を保った。詩集に『木島始詩集』(1953)、『パゴダの朝』(1977)、『回風歌・脱出』(1981)、『双飛のうた』(1984)、『遊星ひとつ』(1990)、『朝の羽ばたき』(1995)、『流紋の汀で』(1999)など。1990年代以降は、とくに四行詩に積極的で、『われたまご 一二三篇(ぺん)の四行詩集』(1994)、『根の展望 詩集:連作体四行詩十三集』などを著した。詩画集もユニーク。短編集に『跳ぶもの匍うもの』(1969)、『日本共和国初代大統領への手紙』(1975)など、エッセイ・評論集に『詩 黒人 ジャズ』正続(1965、1972)、『日本語のなかの日本』(1980)、『群鳥の木』(1989)、『ぼくの尺度』(2002)、小説に『ともかく道づれ』(1988)など。童話に『考えろ丹太!』(1960)、『ぼくらのペガサス』(1966)、『三人とんま』(1971)などがある。またL・ヒューズやL・ジョーンズ(アミリ・バラカ)、ナット・ヘントフNat Hentoff(1925―2017)などのアメリ黒人文学やジャズ関係の翻訳、紹介には定評があった。とくにヒューズについては、彼の自伝から評論集、詩集まで幅広く紹介した。

取り扱う本

木島始詩集・復刻版』(コールサック社、2015/7)

※ 木島始の詩で、気になる作品がありましたら、aki-pwind@cpost.plala.or.jp の畑のメールアドレスまで推薦としてお送りください。ご協力、どうかよろしくお願いします。(締め切りは4月4日まで)

 

第二部 午後4時00分~5時頃 (最近出会った詩・詩人たち

最近出会った詩や詩人について、みんなでお茶しつつ語り合います。

詩や詩人について、配りたい資料がありましたら、15部ほど事前に刷り増ししてお持ちいただき、開始前に畑にお渡し下さい。

 

いろり参加費:500円

 

主催・連絡先:   畑章夫(080-9880-2939)

  • Mail akipwind@com 


詩のいろりで取り上げた詩人

 

2013年 小野十三郎 茨木のり子 金子光晴 青木はるみ 長谷川龍生

2014年 吉野弘 井坂洋子 大岡信 木坂涼 辻井喬

2015年 河津聖恵 高階杞一 小池昌代 貞久秀紀 

2016年 三角みづ紀 大野新 伊藤比呂美 吉岡実

2017年 蜂飼耳 石原吉郎 石垣りん 辻征夫 高橋順子  

2018年 黒田喜夫 三井葉子 金時鐘 最果タヒ 田村隆一 

2019年 平田俊子 和合亮一 吉原幸子 岩田宏 日高てる 三木卓

2020年 鮎川信夫 新井豊美 鈴木四郎康 高良留美子 山之口貘

2021年 たかとう匡子

 

この間、畑章夫「おいど」(2015/11)島すなみ「移動の記憶」(2018/5)の出版記念会をしました。

 

詩の世界を知りたくて夢中で読んできました。

気になる詩を朗読して、読解していくスタイルです。一人で黙読している時とは、異なる詩人の世界が見えてくるから不思議です。

読み解けない詩人もいましたが、詩人のもつ空気感は感じることができたと、思っています。

 

一人では、決して出会うことのない詩人を読めるのも、読書会という機会でしょう。

 

 

 

 

                                 畑章夫 

(080-9880-2939)

                                                   akipwind@gmail.com