言の葉周遊(あきおの読書日記)

読んだ本、気になる言葉、詩を書いていきます

「地球」を見つけた詩人・貘さん

私的詩読 山之口貘
「地球」を見つけた詩人・貘さん

歩き疲れては/夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである(生活の柄)

この詩にあるような暮らしをしながら、貘さんは「地球」ととても親しくなる。

あの浮浪人の寝様ときたら/まるで地球に抱きついているかのようだと思ったら//僕の足首が痛み出した/みると 地球がぶらさがっている( 夜景)

貘さんの地球は観念的な地球ではない。足裏で感じる地球だった。
 1903年に沖縄本島で生まれた山之口貘さんは、様々な家の都合で東京へ出奔する。詩作を続けながら1923年の関東大震災にも遭遇。いったん帰島後、再度上京し、詩人、放浪者として暮らすようになる。
その頃の詩に味わい深い作品が沢山ある。ユーモアがある。借金を重ねていった貘さんは次のような詩を書く。「食人種」と題された詩は次のような書き出しで始まる。

齧った/父を齧った/人々を齧った/友人達を齧った/親友を齧った/親友が絶交する/友人たちが面会の拒絶をする/人々が見えなくなる/父はぼんやり坐っているんだろう/街の甍の彼方/うすぐもる旅愁をながめ/枯草にねそべって/僕は/人情の歯ざわりを反芻する

 苦しい暮らしを営みながら、泣きごとを歌わない。嘆かない。怒らない。力みがない。詩は苦しい暮らしにも関わらず、味わうように書かれていく。力みのなさはは「主義」に対する貘さんの詩に現れる。

 アナキストですか/さあ!と言うと/コミュニストですか/さあ!と言うと/ナンですか/なんですか!と言うと/あっちへ向き直る //この青年もまた人間なのか!まるで僕までが なにかでなくてはならないものであるかのように なんですかと僕に言ったって 既に生まれてしもうた僕なんだから/僕なんです

 この詩の題は「数学」。不思議に思ったが、答えが必ずでてくる「数学」。それに対する、貘さんの気持ちが「数学」と表題を書かせたのではないだろうか。
 「文明」という言葉に対しても貘さんは、便所の汲み取りの仕事をしているとき、次のような詩を書く。 
 ソビエット・ロシアにも/ナチス・ドイツにも/ま た戦車や神風号やアンドレ・ジイドに至るまで/文 明のどこにも人間がばたついていて/くさいち言う には遅かった (鼻のある結論)

別の詩では

 文明どもはいつのまに/生まれかわりの出来る仕掛 の新肉体を発明したのであろうか/神は郷愁におび えて起きあがり/地球の飢えに頬杖ついた//そこ らにはばたく無数の仮定/そこらを這い擦り廻って は血の音たてる無数の器械/(夢みる神)

 物理や数学の発展がもたらした文明。それは同時に大量破壊兵器も生み出す。貘さんは文明の発展がもたらす、戦争や主義のぶつかり合い。多くの破壊を見ていたのではなかったか。地球を肌に感じていたからこそ、見つけた視点のように感じる。
 もう一つ貘さんを支えたものに命のつながりという視点がある。「喪のある景色」には、親の前に、親があり、その親の親、子のあとに子の子、と詩は書かれ、最後に次のように締められる。
 
 未来の涯へ続いている/こんな景色のなかに/神の バトンが墜ちている/血に染まった地球が落ちてい る

1937年日本は中国との全面戦争を始め、41年太平洋戦争に突入する。多くの詩人が戦意高揚の詩を書いていた時代。命のつながりを断ち切る戦争がある。貘さんは「だだ だだ」と「紙の上」で叫んでいた。

 戦争が起き上がると/飛び立つ鳥のように/日の丸の翅を押しひろげそこからみんな飛び立った//一匹の詩人が紙の上にいて/群れとぶ日の丸を見あげては/だだ/だだ と叫んでいる (紙の上)

だだ、だだと書く貘さん。僕にはいやだ、いやだ、と聞こえて仕方がない。国家総動員体制で戦争協力を求められた時代に抗った、詩人の思想を感じるのだ。
 1945年敗戦後、貘さん34年ぶりに沖縄の地に立つ。沖縄の言葉で挨拶すると、やまとことばで返事が返ってくる。貘さんが沖縄を出立し、東京で暮らした時代は、沖縄の言葉が奪われた時間だった。沖縄には基地が居座っている。太平洋では原爆実験がおこなわれている。「鮪に鰯」には暮らしから始まって、原爆実験を作品にしていく。

鮪の刺身を食いたくなったと/人間みたいなことを 女房が言った/言われてみるとついぼくも人間めいて//鮪の刺身を夢みかけるのだが/死んでもよければ勝手に食えと/ぼくは腹だちまぎれに言ったのだ/女房はぷいと横にむいてしまったのだが/亭主も女房も互いに鮪なのであって/地球の上はみんな鮪なのだ/鮪は原爆を憎み/水爆にはまた脅かされて/腹立ちまぎれに現代を生きているのだ/ある日ぼくは食膳をのぞいて/ビキニの灰を被っていると言った/女房は箸を逆さに持ちかえると/焦げた鰯のその頭をこづいて/火鉢の灰だとつぶやいたのだ

「僕は文明をかなしんだ」と書き残した貘さん。示唆されるものを沢山感じさせてくれる詩人だった。

 

 

詩のいろり  「髙良留美子詩集」を読んで 


   │風景を踏み破る詩想│
      高良留美子さんを読む
畑 章夫


 硬質な詩の中に女性を謳う。そして、社会にしっかり踏み込んだ詩を書いていく。そのスタイルに共感をもちながら読んだ。そして、詩論を読んで納得した。

「物を、物自身をして語らしめる」ということは、いまもわたしの詩の方法であり、思想であり、目的でありつづけている。  『わが詩的自叙伝』

 「木」という作品では、ものやこと、風景のなかに、次にうつるものが内包されていることを示唆する。

 木

一本の木のなかに
まだない一本の木があって
その梢がいま
風にふるえている。

一枚の青空のなかに
まだない一枚の青空があって
その地平をいま
一羽の鳥が突っ切っていく。

一つの肉体のなかに
まだない一つの肉体があって
その宮がいま
新しい血を溜めている。

一つの街のなかに
まだない一つの街があって
その広場がいま
わたしの行く手で揺れている。
   (詩集『見えない地面の上で』)
詩論ではこのようにも書かれている。

物のなかに閉じこめられた過去の労働(人間が物に投げかける幻想もふくめて)を解放する」というマルクスの思想とも響きあっている。物を内側から解放する、といってもいい。物はかならず歴史との接点をもっている。

 歴史との接点という言葉は高良作品のひとつのキーワードだと思われる。女と男の関係も歴史的グローバルな視点で描く「産む」という作品。「産」という漢字から想起し「原子力発電所が建った村に わずかに残された産小屋」と風景を設定しながら、女の歴史を現代までを射程に入れて作品化する。

 海からだけ光のはいる産小屋で
 四人の子を産んできた女は語る
 小屋の前には細い川が流れていて
 女はそこで米をとぎ ご飯を炊く
 かつては産小屋を出る日
 日本海の夜明けのなぎさで
 波をかぶり 波をくぐった
 死の世界から 甦るために
 女はそうやって産み
 産みつづけてきたのに その産道は
 ついに原子力発電所までつづいていたのか
 道の行方を見きわめてこなかったために
 道は産む者と産まれる者を分かち
 人は日暮れた道を一人だどらねばならない
 女の産む姿を 
     「産む」から
              (詩集『風の夜』)   
 漢字からヒントをえた作品はほかにもある。それだけ漢字には、内包している歴史があるということなのかもしれない。「芽」という作品では草かんむりの下にある「牙」という言葉に注目する。そして狩猟時代から農耕の時代に、文字を持つ者=権力者が現われる時代までを射程に入れて描く。ほかに権力の「権」の歴史をふりかえる作品もある。
 このように知的な詩を書く高良さんは、子供にも深い愛情を注ぐ。それは自身の戦争体験が深く影響しているように思う。高良さんは1932年生まれで、1945年の戦争の敗北まで、子供たちは大人たちの仕掛けた戦争によって、虐げられた少女時代を過ごした。子どもたちの死とたくさん出会っただろう。その高良さんは1970年代に現象した「コインロッカーの闇」にも向き合う。

コインロッカーに閉じこめられ
捨てられた赤んぼうよ
きみの産衣
はじめてのきみの 鉄の産衣は
柔らかすぎるきみの肌に
冷たかったか 暖かかったか
制服を着た男たちが
きみを外に連れ出したとき
青空の瞳は
きみにやさしかったか
コインロッカーのなかで

この作品でコインロッカーに入れた人を責めることはない。現象を「わたしたちの荒廃」と書く。そして、この後に次のように続ける。

わたしたちの荒廃が底をつくまで
きみはそこにうずくまりつづけよ
その暗い鉄の産衣のなか
その冷たいきみの墓穴のなかで
闇を呼び集める闇となり
見えない核となって
わたしたちの文明が破滅するまで
「コインロッカーの闇」から
      (詩集『風の夜』)

 コインロッカーベイビーという言葉がうまれ、同名の本も出版されたのは1970年代初頭。今の私たちの荒廃はこの時以上に深まってはいないか。私にはもっと深く、広く、しかし、見えにくくなっているように思える。
 高良さんは「歴史的抒情」という言葉を発見する。

歴史的現実を生きる人間の抒情”というほどの意味なのだが、その考え方の根もとには、戦前の詩人たちが歴史的現実をまともに生きていなかったのではないか、そこから逃げていたのではないかという疑問が横だわっていた。
小野十三郎の「風景の思想」を読みなおす』
 
 この言葉を「今」に当てはめてみればどうだろう。ここ半世紀だけでも、私たちが得たもの、そして、喪失したものはないのか。私たちはどこから来て、どこへ行くのか。高良さんの言葉は、風景に仮託して抒情に流されている間に、時代は「崖下に行ってしまうかもしれない」と言っているような気がしてくるのだ。

小野十三郎の「風景の思想」を読みなおす』には次のような一文で締められる。

戦争という現実と対峙したとき、小野は非情な物質の「風景」を発見し、そこに自分白身の存在を(感情もふくめて)こめることができた。しかし戦後になって、新しい抒情を求めたとき、もはや新しい「風景」の発見によってこの要請に応えることはできないように思われた。 わたし自身、さまざまな試みを通してわかってきたことだが、「風景」と歴史的抒情とは相容れないものがあり、歴史的抒情を生きるためには、「風景」を踏み破り、そのなかを生き、その向こう側に出なければならないのだ。

「風景」を踏み破る。そのなかを生きる。その向こう側に出る。という高良さんの宣言。そのためには、様々な力が必要だろう。思想の幅も必要だろう。でも、説明しては詩ではなくなる。実感を引き寄せ、言葉をたぐり寄せる力、とでも言ったらいいのだろうか。大きなヒントをいただいたような気がした。

 

※2020年9月25日に開催された 読書会「詩のいろり」での討論をうけて書いた一文です。

 

第38回 詩のいろり  テキスト 続鈴木志郎康詩集 思潮社

 続 鈴木志郎康詩集を開いた。『家庭教訓劇怨恨猥雑編』『完全無欠新聞』と続く。鈴木が注目を浴びた「プアプア」詩の延長にあるのだが、少女、処女、陰唇、グングン、など猥雑な言葉やナンセンスな言葉が続く。読むに耐えない貧相な言葉の連続に嫌気がさす。
 時代は1970年代。鈴木の実験は世間の詩の常識と闘ったのだろう。鈴木は言葉から意味を外すことを狙ったのかもしれない。と思いながら、鈴木の詩論を読んだ。
 そこには次のような言葉が出てくる。「近代主義はあらゆるものを言語化し、形式化しようとする。」「私はわけの分からないことを考え、わけのわからないことをしたいと思う。つまり、私の前方にレールのように続いている言葉を途切れさせ、私自身の身体を使って歩いてみたいと思うのだ。」そして「私はもっと先のない言葉が必要なのだ」と叫びのような言葉が書かれている。
 当時カメラマンでもあった彼が撮った映像を見ると、ねじめ正一伊藤比呂美、それを撮影する彼。これから新しい詩を作っていくんだ、という朗読のパフォーマンスの熱量を感じることができる。文字で書かれたものだけが詩ではない。表現ではない。という熱気を感じるのだ。
1970年代の詩集
『完全無欠新聞創設綺談』
完全欠如が私こと完全無欠新聞社社主の美徳なのです
何んにもない/社屋、無シ/輪転機、無シ/活字、無シ
用紙、無シ/社説、無シ/キャンペーン、無シ/記事、無シ/記事書く机、無シ/記事書く手、無シ/記事たる言葉、無シ/それにも拘らず我が新聞社は/朝刊、昼刊、夕刊、夜刊/腔腸/縮刷版の出来るまでも報道したのです/私が生きているから

角を曲りなさい/そして又角を曲りなさい/それから又角を曲りなさい/角を曲るのです/そして又角を曲るのです/それから又角を曲るのです/苛立つな!/角ですよ/推に聞いてもわかる角ですよ/知らない人のない角ですよ/老人は勿論です/ほんの子供でも知っています
角を曲りなさい/角を曲るのです/もうあなたです/欠けることのないあなたです/あなたが世界に欠如した唯一の記事です/あなたはあなたをむさぽり読みます
万民は万民をむさぽり読みます/完全無欠新聞

 朗読すると、より感じられる。朗読することを前提で作られた詩のようだ。先ほど書いたように、このほかは猥雑な言葉やナンセンスな言葉が嵐のように投げつけられる。黙読では読むに面倒だが、朗読パフォーマンスを聞きたいと思う。しかし、こういう詩から一転、静かな詩に転換する。

青草の上に
青草の上に腰をおろしましょう/私たちは抱き合わない
そんな力の要ることはしません/青草の上に並んで腰をおろして/私たちは手を握り合わない/そんな力の要ることはしません/五月の青草の上に/全身の力を抜いて
腰をおろしましょう/青草の葉脈を還流する水分を冷く感じながら/私たちは喋らない/私たちは互いに言葉を
かなり遠くへ飛ばすように/言葉だけに力を込めているのです/私たちの言葉が/互いに求め合って/力の限りきつく抱き合い/激しく性殖すればよいと/青草の上に
全身の力を抜いて/思っているだけです(詩集『柔らかい闇の夢』から)

 鈴木が脚光を浴びた実験詩は、影を潜める。生(なま)な家庭を描いた詩も多くなる。行分けしながらも、決して凝縮された言葉ではない。どちらかと言えば散文的でさえある。
 彼の詩を読み進めていくうちに、多く出てくるシーンに便所がある。便所を使って、恋の詩を書く。会社の不条理を書く。隣人を書く。孤独であり、便所は生の象徴的なような場所に思えるのだ。
 もう一つは家庭が壊れる風景だ。死が所々に顔を出す。
読書会をともにしたYさんの感想だが、的を得ている。
「処女にこだわったのも、妻と息子にこだわったのも、いつ壊れるかわからないものだからでしょう。いつ奪われるかわからないもの。怖い気持ちがあるからこそ、ずっとそれをテーマにしてきたのかもしれません。
鈴木の詩とは、大事なものを失う恐怖との戦い(朗読編)、といったところでしょうか。」
 先ほど書いたように詩集『柔らかい闇の夢』以降は実験的な詩方は姿を潜め、平易な言葉を使っていく。しかし、静かな詩ではない。詩の中にはどこかで事件が起こる。「終電車の風景」では散らばる新聞紙に目をとめる。「チョン髷男と子供」では、電車の中の風景を描き、これがお前の未来の姿だ、とちょんまげ男が子どもに言う。「見えない隣人」ではエレベーターの焦げたボタンに注目する。「寝息の会話」では「寝息の会話ということがあるとすれば/それは人人の頭の中から夢が流れ出して/雨の音のように/お互いにまざりあうことになるのであろう/夢はどこか死のにおいがする/人人の寝息の会話を考えると/そこにも死を思うときの自由さが/私の想像を刺戟してくるのだった」と書く。「沸騰する湯に感傷する」では子どもにお湯がかかったなら、との連想からさまざまな不幸なことを思い浮かべる。
 読んでいて、とても自由で、気張りが感じられないのが不思議だ。詩作品で日常を描きながら事件を起こす。何か面白いことはないかな、と捜す、詩人の日々の呼吸を感じるのだ。

2008年以降の作品では老境の日常を笑い飛ばす。
『詩集ぺちゃぷる詩人』  
「青首大根に笑われちゃったって」
「青首大根が笑っていたんですよ。/小癪な、とばかり、/笑いごと擦り下ろしてしまいました。/夕飯のサンマに乗せて食べちゃいました。/うふふ。//青首大根の奴、/わたしの米を研ぐ手つきを、/先ず笑った。/腰痛の年寄りの似合いの手つき、/ということで、/笑っちゃいました、ということ。」(以下略)このような書き出しで始まる。「蒟蒻のペチャブルル」では、「コンニャクが/わたしの手から滑って、/台所のリノリュームの床に落ちた、/蒟蒻のペチャブルル。/ペチャブルル。/瞬間のごくごく小さな衝撃と振動。/ペチャブルル。/夕方のペチャブルル。」

鈴木志郎康の詩に込める想いを書いて終わるとする。
『声の生地』から「詩について」と言う作品から引用する。まあ、そう気張らないで、の 次の言葉が好き。

生きる自由だ、
詩は。
他人から遠く、
密かに、
元手も掛けずに、
言葉を社会から奪って、
世界を名付ける
声、
突き動かす
声、
願望が
時間を濃縮する、
瞬間の自由だ、
詩は。
未完の自由だ、
詩は。
まあ、そう気張らないで、
個の地平に
立て。
この原則を
守れ。
ビュン、ビュビューン
ビュン、ビュビューン
ラ、ラ

 

 

もう一つ私が好きな作品 を掲載します

 「私は椅子に座して」(詩集『家の中の殺意』)

私は何をして坐っているのだ

男が椅子に座している
私の精嚢の中で精子が増殖している
私の前に女が座している
妻の卵巣がゆっくり口を開けて
卵子を吐き出す
男も女も
自分たちの
そんなことの会話はできない

恐怖して見たものが
脳の中に残っていることはたしかだ
逃げる姿勢を取る
この確かな
形が
腰にある

考えは一様に
自分の存在の許しを願っている
子供のときから
何度泣いただろう
泣き止むときには

灰色の湖面が
厚い雲におさえられて
まだ長い月日を
歩き続けるときめてしまった
旅人を
追ったようだ

私が生きているとき
何人もの人が死んでいる
まだ生まれぬものさえ死んでいる
私は椅子に座して
精嚢の中では精子が増殖している
私はそのことを知ってはいるが
それはまるで、私にとっては
余分のことであるようにして
見知らぬ死人がいる傍で
繁茂する草の中に
寝ころがって
太陽の匂いを楽しむこともできると
呑気に
今日も五人の死者が出たと
死者の写真を
新聞紙の表面に見ている

生暖かい
いやな風が外に吹いている
家の中には湿気が充満して
一夜でいたるところに黴が生えた
黴の生えたものは、鞄、靴、皮バンド
それに植物性のもろもろのもの
嘗て生きたものの
表面に、別の
生きたものが出て来たのだ
恐怖が
私の身体の奥深いところで、わずかに
移動する
そのわずかのずれが
自分の輪郭を掴めなくさせる
外には
生暖かい雨が降り始めている

私は椅子に座している
精嚢では精子が増殖している
死ぬと
私の腸の中ではバクテリアがにわかに繁殖する
死体は腐る
しかし、それは私には余分なことだが
恐怖が残る

詩集「吹き抜けた時」雑感

詩集「吹き抜けた時」 辻岡真紀子     出版 澪標

 

 読んでよかった。気持ちのいい詩集だった。生きてきた時間を、生きている時代を抒情ゆたかに書く。その抒情は余白にぽつんと置くようにさわやかだ。
 「おひとり様」「パセリっ娘」「本の虫」「愛読書」「書店」など、女の子から女性へ歩みだす作品群は、読者として成長を見ている感もする。「ほんやら洞」は時代の空気を映し出す。自分の核が形成されていた頃を描ける力に感服する。
 僕の好きな作品は「鞄」。就職活動をしている女子大学生なのだろう。この時期の「女子」学生の厳しい状況が浮かんでくる。

 

 リクルート鞄を提げて

 駅へ向かう
 
  十社めだ 
 
 梅雨時のモノトーンの空は
 途中で
 冷たい大粒を落とし始めた
 傘を広げて
 あやういところで足を止めた
 
  かたつむり

 

ビル街の歩道の真ん中

雨に濡れたアスファルトを舐めて

もぞもぞ のろのろ

立派すぎる殻をかついで

 

 この詩で「十社めだ」が社会状況を反映する。このあと梅雨時の灰色の風景が描かれる。「雨に濡れたアスファルトを舐めて もぞもぞ のろのろ 立派過ぎる殻」「鞄が 肩からずり落ちる」作者の心象を見事に語っている。そして、かたつむりをマニュキアの指で紫陽花の葉に乗せてやるところも優しい。
最終連で作者はこのように書く。 

 鞄を抱え直し
 勢いを増してきた雨の中
 急ぐ
 
 この心のスタイルは多くの詩で出てくる。
 表題詩「吹き抜けた時」も好きな詩だ。この詩の中に書かれている「飛べなかった空」は、この詩集の、その場所に置かれることで、回想とともに味わいをもってくる。そして、残った風車が「誰もいなくなった場所で回り続ける意味」を「風に問う」。これによって作者は詩作品前段に書かれた家族のことを、さりげなく読者にも問うのだ。そして、あなたの「飛べなかった空」を思い出させる。
 Ⅰにまとめられた最後は「ある卵のうた」。ベランダに一個残された、孵化しなかった鳥の卵。作者はつぎのように書く。
 
 やがて季節はずれの台風一過の朝
 巣は丸ごと消えていた
 あとには砕けた卵の殻から
 夥しい私の字が
 孵らなかった思いの欠片が散らばっていた

 詩人は思いを言葉にしようとする。しかし、すべてが言葉にできるわけではない。言葉に掬いきれなかった思いが転がっている。それも詩なのだ。

 Ⅱは季節の一瞬の風景を切り取り、詩作品に仕上げる。ここでも抒情はウエットではない。小気味のいい抒情が作品化される。読んでいて心地いい。春夏秋冬の順番に並べてある作品群。情にとどまることなく、次へ向かう作品が多い。読者は読んでいて、さわやかな、何もかも引き受けた、さっぱりした一歩を感じるだろう。例えば「ひとひらの春」と題された作品。

 桜の迷子が
 余白に舞い落ちた

 残照が
 窓の外に滞る夕暮れ
 わたしも迷子を連れて
 花のありかを探しに行く

 「躑躅」と題された詩では、表札を見ながら大家族だった我が家を思い出す。その描写の最後は「久しぶりに鏡台を開け 花色の口紅をさしてみた」この詩は口紅の色と「躑躅」の花の色、そして、字そのものの面白さを作品にしている。
 この作品でもそうだったが、多くの作品が行為で終わる。「行く」「色づき始めた行路を たどり続ける」「びりっ子は翔けだした 夕陽の待つ 茜色のゴールに向かって」などアクションで終わっている。冬を描いた作品でも、「自販機」から買った暖かい飲み物をもって、「空の巣に一緒に帰る」
 これらの歩みは、いろんなものを抱えているだけに、深みと重みを感じる。そして、歩み出す一歩に力づけられるのだ。
 「大夕立」では、「空が決壊し」「ひびわれて滝のように流れ落ちる。往来は川になり、心の河口を求めて急ぐ」と書きながら、
「私は待つ。すべてを水に流した空があっけらかんと笑うのを。雨上がりの町は夕陽に滲み、新しい私がそこにいる。ブルんと身震いして、私は始まりへと歩きだす。」

Ⅲでまとめられた作品群には、作者が歩いている今が書かれる。「掌(たなごころ)」と題された作品。

 何を掴み 何を掬いあげたのか
 夢みても 努めても
 この手のひらから
 こぼれ去ったものは測り知れない
 それでも私は両手を差し出す
 たとえ一滴がこぼれ落ちても
 掌のうつわは
 満杯の温もりを湛えているのだから

 この作品でも、作者は意志的であり、味わい深い情緒を醸し出す。他の作品でも心のベクトルと抒情がユーモアをもって描き出される。夫との関係を描いた作品「銀婚式」「文明の利器」、成長した息子への思いを描いた「黄色いトレーナー」。どの作品も、さわやかに受け止めることができる。愛を描くには、ユーモアが必要よ、と教えてくれるような作品だった。そして母との別れ、「僕」と描かれた人との別れが作品化される。
 Ⅲの最後に収められている。「見知らぬ故郷」の最終連

 あれはどこの町だろう
 記憶が切なく訴える
 夢の中で
 いつも私は少女にもどり
 小さな足で心の路地をさすらいながら
 通り過ぎていく風にすがる
 どこから来たの どこへ行くの、と

 この詩集の全体を締めくくりにふさわしい。どこから来て、どこへ行くのか、人の生死の永遠のテーマではないか、と思えてくる。そして、「吹き抜けた」と感じる、年齢はあるのかもしれない。
 作者は70年代後半に思春期を迎え、都市で暮らしてきた。この詩集にはひとつの時代がある。それを生きてきたひとりの女性の人生がある。多くの女性に共感を呼ぶ「抒情の質」ではないか、と思えるのだ
 詩集「吹き抜けた時」は空気感を作るのに成功している。一篇一篇の詩が相まって醸し出される、さわやかな、味わい深い詩集だった。

2020年7月4日

 

ふうらのたより 3月

ふうらのたより    NO2      2020年3月
  スペースふうらでは、表現すること、楽しむことを、ゆるゆると、ウイルスにも気をつけながら、進めていきます。
 
 みなさまもご自分の考える健康法で、気をつけつつ、楽しみつつ、お過ごしください。持病をお持ちのかた、ご家族に呼吸疾患を抱えている方など、ひとそれぞれ様々な条件で、気遣いがあると思います。
 みなさまの健康を心から願っています。      


3月

3月26日(木)~31日(火)12時~6時半
     和識の世界  藤木寛充展
      写生の際には・対象・識る者・描く者と言う3つの関係が生ま      れます。この三者がうまくととのうとき、認識という語を改め      「和識」とします。(藤木)
      このように語る、藤木さんの緊張感のある和識図、和識彩絵を      見に来てください。   
4月
4月3日(金)~10日(金) 12時~6時
 「水はみどろの宮」挿絵版画展
 「水はみどろの宮」は石牟礼道子さんの作品
  挿絵を描かれた山福朱実さんの挿絵版画を展示します。

4月4日(土) 3時~
  朗読ライブ  チラシを見てください
定員20名。      予約をお願いします。

4月10日(金) 5時~
おしまいのパーティー
※4日に参加できなかったかた、ぜひ、10日におこしください。
出演 渡部八太夫  ケセランぱさらん他、飛び入り歓迎


4月12日(日) 2時~
 シベリア抑留体験を語る  正岡稀彦さん
予約をお願いします
ご高齢なので、その日の体調の変化で、会が中止になることがあります。お茶を飲みながら、お話を伺います。

シベリア抑留は日本帝国がソビエトに、国体護持のいけにえとして、労働力として差し出されたものだった。正岡さんは国家賠償訴訟の裁判を起こしました。敗訴に終わりましたが、記憶にとどめなければならない、ことだと思います。

4月18日(土) 4時半~    桃園句会
お題   椅子で1作 他自由で2作。
     
4月24日(金) 7時~     シリトンの会
     宮沢賢治の研究会  主宰 松田司郎さん
賢治を支えた仏教思想第1回  お話し藤本雅彦さん

4月26日(日) ギターライブ
    出演  エリカ・シュトローブルさん 
  ご希望の方はご連絡ください
 

※4月27日~5月1日までお休みします。
 その他にも休む時があります。ブログには掲載するようにします。
 

5月
  5月16日(土)桃園句会 4時半~
 
  5月17日(日)~23日(土)12時~5時
   木原道子作品展
  色えんぴつ画を始めた木原さんの作品展です


   5月22日(金)7時~  シリトンの会  
     宮沢賢治の研究会  主宰 松田司郎さん
賢治を支えた仏教思想第2回 お話し藤本雅彦さん
 
 5月24日(日)2時~
詩のいろり 


6月
 6月20日(土) 3時~
  語りの宇宙を観る 聴く 語らう
  ◆~「語り」を追って中世の道をゆく~
  「異人(まれびと)たちの語り」
   映像「中世遍歴民の世界」
   祭文語り・渡辺八太夫×口先案内人・姜信子

 

6月 6月27日(土)~7月5日(日)   
    松永優藍染色展
6月27日(土) 依吹さんの朗読公演予定

★「語りの宇宙を 観る 聴く 語らう」
1年間の企画を決めました。
<旅するカタリ>の渡部八太夫さんと姜信子さん。
ケセランぱさらんのテジョン、ジュンちゃんのお二人。
そして、本町にあるカフェ周(あまね)のイナモトさん。そして、スペースふうらの畑と滝沢が、<旅するカタリ>のなかまたちとして、一年間のお楽しみ企画を決めました。
     ①語りの宇宙への扉を開く映像+語りの世界へと誘う声
     スペースふうら
    ②さまざまな語りの声が開く物語の「場」カフェ周
語りの現在・過去・未来を、見て、聴いて、みんなで語らう一年が幕を開けます!
 4月3日からの挿絵版画展と4日の朗読ライブはその第一弾になります。

★旅するカタリ<渡部八太夫さんと姜信子>さんのこと
 八太夫さんと姜信子さんは<旅するカタリ>として活動されています。出会いは西成のライブハウスでした。山伏の格好をして登場する八太夫さん。三味線を手に、山椒大夫の物語を語ります。とても、おどろおどろした場面もあって、知っていた山椒大夫の話しとは違っていました。語りを聴いているうちに、村の社に集まる中世の民になったような気分がしてきました。
 あとで姜信子さんにお話しを聞くと、いろんな地域で山椒大夫物語が語り継がれていること、話しの展開も違うことを知りました。
 
 ここから以下は 姜信子さんのことばをお借ります。

山伏祭文、デロレン祭文、ちょんがれ、ちょぼくれ、阿呆陀羅経、歌比丘尼熊野比丘尼瞽女、盲僧琵琶……、かつてここ日本では、道ゆく遊芸の民が物語を運び、河原で、辻で、村の鎮守の境内で、家々で、物語の『場』を開いてきました。
遊芸の民は物語を運ぶだけでなく、そもそもは風土の神々と人々をつなぐ「場」を開く者でもありました。
 かつて、日本津々浦々、無数の名もなき神がいて、無数の豊穣な物語の宇宙があったのです。
 ところが、国家が認める神以外は邪教淫祠とする、近代化という名の下の「神殺し」とともに、人々の間に息づいていた無数の小さな「語り」の声も消えゆき、私たちにとって、物語とは、与えられるものとなっていったのです。
語りを失うことは、自由で多様な生き方を見失っていくことでもありました。私たちが忘れてしまった大事なこと。声を大にして言います。
       「語り」は人を解き放つ!
     旅するカタリ<祭文語り八太夫&作家姜信子>
5月1日、カフェ周(あまね)にも注目してください。
中央区平野町4ー5-8井上ビル3F
ガスビルを西に行ったところにあります
 
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「歴史の起点として福島を捉え直す」飯田哲也

飯田哲也さんのメッセージ。

東日本大震災福島原発事故と今回のコロナと共通するものとして、こう述べている。

私もほぼ同感する。

>この国の根底にあるものの共通性です。その第1はこうした危機に際して国(政府や官僚組織)が機能不全を起こしてしまうこと、第2は国民の生命・安全・健康がけっして最優先に置かれないこと、第3は「専門家」が必ずしも信頼できないことです。<

そして、最後に次のような言葉で締める。

福島第1原発事故は、歴史的な偶然もあって、世界史的なエネルギー転換という「歴史の起点」に位置づけられました。同時に、機能不全を起こしている日本の統治機構や民主主義のあり方を再構築すべき、日本史的な「歴史の起点」にも位置づける必要があると考えます。

私は、アベ的なもの、それを支持する体質。にもメスを入れなければならないと思うが、歴史の転換点であることは予感できる。

残された時間、自分が大切だと思うことを表現していきたいと思う。

以下

全文

「歴史の起点として福島を捉え直す」
3.11東日本大震災福島第一原発事故から9周年、そして10年目にあたって
isep所長 飯田哲也

「3.11」から丸9年、そして10年目に突入する本日、東日本大震災および福島第一原発事故の犠牲になり失われた人々とその遺族の方々に対して、あらためて深く哀悼の意を表します。

今、日本を含む世界の多くの国々は、新型コロナウィルスの急速な感染拡大、いわゆる「パンデミック」で大変な事態となっています。この事態を巡って日本で起きているさまざまな出来事は、まったく異なる事象でありながら、国による国家的な危機管理という意味で、福島第1原発事故後のさまざまな出来事を思い出さずにはおられず、重なり合う要素も少なくありません。

表面的に見ても、マスクと防護服姿という相似性はさておき、トイレットペーパーやマスクの不足は3.11後に水やガソリンが店頭から消えたことを想起させ、社会全体の自粛・緊縮モードで街中がひっそりと感じられるのも3.11後の節電と輪番停電で暗くなった街を思い出させます。組織的にも個人的にも講演会や集会がことごとく中止・延期となり予定がまったく変わってしまい、「社会的な非常時」を痛感することも同じです。

より重要なことは、この国の根底にあるものの共通性です。その第1はこうした危機に際して国(政府や官僚組織)が機能不全を起こしてしまうこと、第2は国民の生命・安全・健康がけっして最優先に置かれないこと、第3は「専門家」が必ずしも信頼できないことです。たとえば今回も、医療の基本である早期発見・早期対応のために不可欠なPCR検査が中国、韓国や台湾などに比べて桁違いに少ないという事態が放置され、それが逆に国が警戒しているはずの感染拡大や医療崩壊のリスクを増しています。福島第1原発事故が日本だけであったのに対し、今回は中国、韓国や台湾など近隣諸国を含む世界で同時に起きているがゆえに、日本の突出した対応のマズさが可視化されます。それでもなお3.11当時は、当時の菅直人首相率いる官邸は、機能不全の官僚や東電、「専門家」に囲まれながら一所懸命に対応したが、今回は官邸主導による後手後手かつ「やってる感」だけを前面に出した対応が事態をいっそう悪化させているように思われます。

福島第1原発事故後にせっかく画期的な「原発事故子ども・被災者支援法」が成立したにも関わらず、現政権が成立して以後、誠実な施行がされないままに放置され、非常時並みに放射線レベルの高い地域への帰還が強制される一方、避難者の住宅等の支援は次々に打ち切られている。そうした現実と、唐突で効果の疑わしい全国一斉休校やイベント等の自粛に対する支援策が乏しい今回の対応や感染の不安を抱えたまま「検査難民」が生じていることは、「国民の生命・安全・健康がけっして最優先に置かれないこと」で通底しています。「ニコニコ笑っていれば100mSvでも大丈夫」と「ミニ武漢」となったクルーズ船への対応を見ても、日本の「専門家」の危うさが共通しています。

エネルギーに話を戻すと、福島第1原発事故は世界史に残る大事故であることは疑う余地もありません。その事故に学んだのは、当事国の日本ではなくドイツを筆頭とする海外の国々で、しかもおりから加速した太陽光発電風力発電の加速度的な拡大によって、わずかこの10年ほどで今や自然エネルギー100%の未来さえリアルに予見できるようになりました。ところが原発事故の当事国である日本では、今の政権は自然エネルギーの拡大には消極的で、原発と石炭火力を軸とする「旧いエネルギーコンセプト」に執着したまま、世界に背を向けています。

福島第1原発事故は、歴史的な偶然もあって、世界史的なエネルギー転換という「歴史の起点」に位置づけられました。同時に、機能不全を起こしている日本の統治機構や民主主義のあり方を再構築すべき、日本史的な「歴史の起点」にも位置づける必要があると考えます。

「歴史の起点として福島を捉え直す」飯田哲也

「歴史の起点として福島を捉え直す」
3.11東日本大震災福島第一原発事故から9周年、そして10年目にあたって
isep所長 飯田哲也

「3.11」から丸9年、そして10年目に突入する本日、東日本大震災および福島第一原発事故の犠牲になり失われた人々とその遺族の方々に対して、あらためて深く哀悼の意を表します。

今、日本を含む世界の多くの国々は、新型コロナウィルスの急速な感染拡大、いわゆる「パンデミック」で大変な事態となっています。この事態を巡って日本で起きているさまざまな出来事は、まったく異なる事象でありながら、国による国家的な危機管理という意味で、福島第1原発事故後のさまざまな出来事を思い出さずにはおられず、重なり合う要素も少なくありません。

表面的に見ても、マスクと防護服姿という相似性はさておき、トイレットペーパーやマスクの不足は3.11後に水やガソリンが店頭から消えたことを想起させ、社会全体の自粛・緊縮モードで街中がひっそりと感じられるのも3.11後の節電と輪番停電で暗くなった街を思い出させます。組織的にも個人的にも講演会や集会がことごとく中止・延期となり予定がまったく変わってしまい、「社会的な非常時」を痛感することも同じです。

より重要なことは、この国の根底にあるものの共通性です。その第1はこうした危機に際して国(政府や官僚組織)が機能不全を起こしてしまうこと、第2は国民の生命・安全・健康がけっして最優先に置かれないこと、第3は「専門家」が必ずしも信頼できないことです。たとえば今回も、医療の基本である早期発見・早期対応のために不可欠なPCR検査が中国、韓国や台湾などに比べて桁違いに少ないという事態が放置され、それが逆に国が警戒しているはずの感染拡大や医療崩壊のリスクを増しています。福島第1原発事故が日本だけであったのに対し、今回は中国、韓国や台湾など近隣諸国を含む世界で同時に起きているがゆえに、日本の突出した対応のマズさが可視化されます。それでもなお3.11当時は、当時の菅直人首相率いる官邸は、機能不全の官僚や東電、「専門家」に囲まれながら一所懸命に対応したが、今回は官邸主導による後手後手かつ「やってる感」だけを前面に出した対応が事態をいっそう悪化させているように思われます。

福島第1原発事故後にせっかく画期的な「原発事故子ども・被災者支援法」が成立したにも関わらず、現政権が成立して以後、誠実な施行がされないままに放置され、非常時並みに放射線レベルの高い地域への帰還が強制される一方、避難者の住宅等の支援は次々に打ち切られている。そうした現実と、唐突で効果の疑わしい全国一斉休校やイベント等の自粛に対する支援策が乏しい今回の対応や感染の不安を抱えたまま「検査難民」が生じていることは、「国民の生命・安全・健康がけっして最優先に置かれないこと」で通底しています。「ニコニコ笑っていれば100mSvでも大丈夫」と「ミニ武漢」となったクルーズ船への対応を見ても、日本の「専門家」の危うさが共通しています。

エネルギーに話を戻すと、福島第1原発事故は世界史に残る大事故であることは疑う余地もありません。その事故に学んだのは、当事国の日本ではなくドイツを筆頭とする海外の国々で、しかもおりから加速した太陽光発電風力発電の加速度的な拡大によって、わずかこの10年ほどで今や自然エネルギー100%の未来さえリアルに予見できるようになりました。ところが原発事故の当事国である日本では、今の政権は自然エネルギーの拡大には消極的で、原発と石炭火力を軸とする「旧いエネルギーコンセプト」に執着したまま、世界に背を向けています。

福島第1原発事故は、歴史的な偶然もあって、世界史的なエネルギー転換という「歴史の起点」に位置づけられました。同時に、機能不全を起こしている日本の統治機構や民主主義のあり方を再構築すべき、日本史的な「歴史の起点」にも位置づける必要があると考えます。